大東亜戦争か太平洋戦争か?
勝者によって作られた歴史をいつまでも信用してはいけません。
明治維新直前、西洋諸国が武力を背景にアジアの国々に脅しを掛け、不平等な条約を結び、アジア各国は列強諸国(アメリカ・イギリス・フランス・ロシア等)の植民地支配に喘いでいた。
徳川幕府を倒し、明治維新に成功した日本でも、その危機をいち早く察知したが、新政府は列強諸国に対抗出来る実力はなく、どうすれば日本の独立を守ることが出来るかを模索し続けていた。
そんな時に朝鮮から、自力で近代化を成功した日本に対して学びたいという申し出がきたので、要請に応じ日本は教育用の軍隊を派遣するも、朝鮮国内でクーデターが勃発し、この騒ぎで日本大使館は焼かれ、多くの日本人死傷者を出すこととなる。(1882年 壬午軍乱)
当時の朝鮮は支那の属国であったため、非常事態収拾のために、朝鮮は支那にもクーデターの鎮圧を依頼し、朝鮮の地で支那軍と日本軍がバッティングした為、鎮圧を支那に譲ります。
その後も朝鮮では、不安定な状況が続きますが、貿易等の要所でもあり、北から迫るロシアから自国を守るためにも、朝鮮には支那から独立した近代国家となって欲しかったので、日本は滞在していると、再度クーデターが勃発した。(1894年 東学党の乱)
前回のクーデターで日本人に多数の死者を出したため、日本は護衛の兵を僅かに送り込むだけに留め、支那のクーデター鎮圧を静観していました。
ところが、支那軍はクーデターを鎮圧した後の朝鮮への駐留を続けるばかりか、日本軍に攻撃を開始したので、無視することも出来ず、日清戦争が始まりました。
結果は日本の大勝利。遼東半島の領有権を手に入れることとなります。(1895年 下関条約)
しかし、一週間もしない内に、ロシア、フランス、ドイツがこれに反発。遼東半島を返還しなければ、3国で日本を責めると脅したのです。(三国干渉)
日本はこれには逆らうことが出来ず、遼東半島を返還しますが、日本にとって納得がいかない事に、3国は支那からお礼として遼東半島を借りることになります。
その後、支那では国民による外国勢力に向けた反乱が勃発。(1900年 義和団の乱)
各国は共同してこの反乱を制圧しますが、そのどさくさに、ロシアは満州を占領したのです。更に、三国干渉を受けて遼東半島を返還した日本を見限った朝鮮はこれを機に実質的なロシアの支配下に入りました。
満州を奪い取ったロシアが朝鮮に進み、日本にやって来るのはもはや時間の問題、朝鮮がロシアの手に落ちれば、次は日本の番であることは、もはや明確でした。
当時のロシアと日本の国力の差は、
- 国家予算は、日本が約2億9千万円、ロシアは約20億8千万円。
- 戦費は、日本が15億円、ロシアは22億円。
- 動員できる兵力は、日本が100万人、ロシアは200万人。
- 軍艦の総排水量は、日本が約22万トン、ロシアは約80万トン。
- まさに子供が大人に喧嘩を挑むような状況にあったが、ついに日露戦争が開戦した。(1904年)
- 日露戦争では玉砕覚悟の突撃は最後の最後まで行いませんでした。当時の最先端であった電話や無線、観測気球、手榴弾などを使用するなど、新しい技術を使い、戦の常識を覆し世界中を驚かせた。
しかし、この戦力差は凄惨を極めるものであり、日本人にも多くの犠牲が払われた上に、日本は資金も底を付き、諸外国にした大量の借金を返し終わったのは、1980年代になってからでした。
正に身を削る思いで戦った黄色人種が歴史上、初めて白人の国家を倒した戦争は、歴史的に非常に大きな意味を持つとされている。
その後、第一次世界大戦(1914年~)を経て、時代は流れていくが、相変わらず支那は列強諸国の食い物にされていた。
しかし、そんな列強の中にアメリカの姿がなかったのである。アメリカも帝国主義を前面に押し出し、メキシコやグァム島、フィリピンなどを手中に収めていたが、既に多くの国が入り込んでいる支那には触手を伸ばせないでいた。
日露戦争の勝利により満州近辺の利権を抑えた日本であったが、その財務状況はボロボロ。支那での活動費用は既に底を尽きかけていたのだ。
そんな時、支那の利権に強い野望を持つアメリカが、日本と満州の共同運営の話を持ちかけくる。
一度はこの話に乗り掛けた日本であったが、日露戦争で多くの日本人の血を流しながら、お金のために多大な犠牲と引き換えに得た利益を手放すのは、戦死者に顔向けが出来ないと、この話を断ってしまう。
当時の白人社会は、黄色人種に対して非常に厳しい差別意識を有しており、アメリカなどで生活する日本人は酷い迫害を受けるなどが当たり前の時代。
そんな時代背景の中、黄色い猿に美味しいビジネスの話を断られたのであるから、アメリカのプライドが傷付かない訳がない。
こうして徐々に日本とアメリカの関係は悪化していった。
満州近辺にいた日本軍が、支那軍から攻撃を受ける。(盧溝橋事件 1937年)
これに対しても、日本は紳士的な対応を行ったが、(もちろん、日本が仕掛けた自作自演という話は大ウソ)
支那からの攻撃は止まずに日中戦争へと発展していく。
この戦争はゲリラ戦となり泥沼化していくが、ここに更に悪い状況が訪れる。
日本の相手、支那軍がソ連からの影響を受け、共産化したのだ。
当時から、共産主義に強い脅威を抱いていた日本はこの戦いから引くに引かれなくなってしまう。
そして更に悪いことに、アメリカは支那軍を支持。
後に共産主義との熾烈な戦いを繰り広げるアメリカだが、この当時はその危険性をまだ認識していなったのだ。
長引く戦いに疲弊し始めた日本は、支那軍の補給路を断つためにフランス領であるインドネシナを抑えようとするが、これがアメリカの逆鱗に触れ、石油の輸入を禁止するという経済制裁を発動される。
日露戦争以来かさむ膨大な借金、泥沼化する支那戦線、経済制裁により国内の石油はあと2年しかもたない。
このまま支那に敗北すれば、ソ連は必ず日本に侵攻してくるだろう。
また、アメリカ、イギリス、フランス等の国々も黄色人種の中で目立ち過ぎた日本をただで済ます訳がなかった。
このまま石油を断たれて自滅する?それとも戦争して華々しく散る?
これが連合国側が日本に突き付けた選択だったのだ。
そして日本は真珠湾攻撃へと向かう。
こうして日本人は、思い上がった白人たちに意地を見せるため、また共産勢力の侵攻を防ぐために、そして、植民地支配されたアジアの国々を解放するために、勝ち目のない戦いに挑んでいくのだった。
これが先の戦争に関して日本が歩んだ道のりである。
こうした流れをみても、この戦争を侵略戦争と呼ぶことが出来るだろうか?
白人文明に対する人種戦争、共産主義に対する戦争、こした見方が出来ないだろうか?
ちなみに終戦後、日本を占領していた、GHQのトップダグラス・マッカーサーは、後に公の場で、太平洋戦争は日本が自衛のために行った戦争であったと明言している。
最前線で日本と戦い、占領していた男が自らこれを認めたのだ。
また、この戦争中、日本はアジア各地で残虐非道な行いをしたこととなっているが、果たしてこれも事実なのだろうか。
南京大虐殺
日本はもちろんこれを歴史的な真実と認めていない。
当時の証拠写真とされるものは、その殆どが合成や関係のない写真であったことは、多くの書籍において検証されている上、被害を受けたとされる支那人の人数は当時の南京の人口を遥かに上回った人数であったりと、その信憑性は非常に低い事件となっている。
その他支那での残虐行為
各地の支那人が日本軍から被害を受けたと主張しているが、こうした行為を行っていたのは日本軍ではなく、支那の軍隊であるとの証言が多数ある上、日本軍は非常に紳士的だったとの証言も多い。
また、当時日本が傘下においた地域に対して我が国は、自国の財政が困窮する中、多額の資金を叩いてインフラ整備などを行っている。
蹂躙したはずの地域にこんなことをするだろうか。
また満州支配に関しても、万里の頂上から外側の満州は当時、支那の一部とは認められておらず、侵略には当たらないはずである。
更には、日本が建国したとされる満州国の皇帝は満州人であるし、そこ高官たちも全て満州人であり、日本が独立を支援したという言い方が公平であるはずだ。
なお、満州国内は安定した統治がなされていたとの証言は数多く、管理人の親類にも当時満州に居住していた者が数人いるが、その誰もが支那人との関係は良好なものであったと語っている。
こうした証言を裏付ける証拠としては、当時のローマ教皇は、中国大陸における日本軍の紳士的な行いを賛美し、世界中のカトリック教徒に日本軍を援助するよう要請しているという事実もある。
韓国の従軍慰安婦
日本は従軍慰安婦の存在を否定している。
また元従軍慰安婦であったと自称する者達の証言は曖昧な点が多く、その証言内容もコロコロ変わっている。
有名な例としては、日本軍に拘束されていたとする期間が終戦後2年経った時期まで続いたと証言したり、連行されたとする場所に当時日本軍が居なかったりと、その食い違いは甚だしい。
東南アジアでの残虐行為
現在の東南アジア諸国の殆どは、大戦当時、西洋諸国から解放してくれたとして日本に対して感謝の意を示しており、国によっては子供に日本人の名を付けている場所もある程。
虐殺行為を行った国に対して、こうした行動をとるであろうか。
シンガポールなどで抗日ゲリラの摘発・処刑が大虐殺と報じられているが、ゲリラを掃討するのは致し方ないように思える。
このように戦時中に日本が行ったとされる残虐行為は、後にねつ造、情報操作された可能性があるものが殆どなのである。
歴史は勝者によって作られる。